昭和28年、私は18歳の時初めて名古屋に出てまいりました。当時は終戦から10年が過ぎておりましたが、今のような高層ビルなどありませんでしたので、名古屋駅から東山が一望できるほどでした。しかし名古屋という都会は自然が少なく、それまで三重県の田舎に生まれ、山や海に囲まれた自然の中で暮らしてきた私にとっては、少し寂しい気がしてなりませんでした。

  昭和31年、国が都市公園法を制定し全国的に都市公園の整備が進み、名古屋でも米軍に接収されていた「アメリカ村」が返還され、この場所に白川公園が計画・建設されていきました。
  当時20代半ばだった私も、ちょうどこの頃に造園会社に勤め、この白川公園の建設に関わることができました。

  「白い街名古屋」を「緑の街名古屋」にするべく、名古屋市が緑政事業を推進する中、私も会社を設立し、そのお手伝いをさせて頂きながら今日まで半世紀近く歩んでまいりました。今では名古屋市内を車で走っていると、私が植えた公園の樹や、街路樹が大きくなった事を喜び、昔を思い出しております。

  しかし樹は植えたらそれで終りという事はありません。植わっている場所や目的に適した樹形に整えるなど、人間の手による管理が必ず必要になってきます。そして樹は生き物ですから、人間と同じく病気や怪我もすれば老いもします。
  私も「樹木医」と呼ばれる樹木のお医者さんとして、弱った樹の回復や治療に務めております。
  緑のある美しい環境を次代に残していく為、これからも努力し続けてまいります。

日之出造園株式会社 代表取締役 中島彦之


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